カラクリピエロ

TOBアイゼン夢①


「船長、難破船だ!!」

高らかに響いた声に、今後の針路を模索していたバン・アイフリードは顔をあげた。
二時の方向!続けて聞こえる報告を耳に入れつつ、望遠鏡を持ってくるよう指示を出す。
傍らにいた副長が「はしゃぎすぎだ」と呆れた声をあげたが、どうせ建て前だ。
お前もわくわくしてるんだろう?
持ってきてもらった望遠鏡のレンズを覗く前に横目で見れば、アイゼンは口端に笑みを乗せて肩を竦めた。
レンズの焦点を合わせれば、なかなか豪華な装飾が施された胴体が目に入った。貴族の豪遊船だったのだろうか――舳先についた女の像も、きっと高く売れただろうに。無残にも半分が欠けているのが惜しい。
帆には大きく紋が入っていたが、風雨にさらされ続けたためかボロボロで元の形がわからない。
漂流船と報告されなかったのは年月の経過が目立ったためだろう。
大岩に引っかかる形で発見されたその船は、どこかから流れ着いたものなのか、もしくはこの場で事故にあったのか――かわいそうになぁ――アイフリードの胸によぎった想いはなにに対してか。

「どうする船長!もちろん行くだろ!?」
「当たり前だ。接絃しろ!」

アイフリードは舵の傍へ移動し、高らかに指示をだすとそこからひらりと飛び降りた。
足場を作る船員とともに、近づく船影に胸を踊らせていると、アイフリード、と自らを呼ぶ副長の声がした。
普段のアイゼンは、他の乗組員がいる場で話を振ってくることはほとんどない。
独り言を言っているようにしか見えないアイフリードを気遣ってでもいるのだろうが、“副長“が居ることは海賊団全員が知っている。気にするだけ無駄だ、と常々言っているがだいたいは適当にかわされて終わる。
ともかく、珍しい行動に出たアイゼンへ続きを促したアイフリードは、彼が顎をしゃくるのに合わせて難破船を見た。

「なんだよ」
「…よく見ろ。お前なら見えるはずだ」

んん?と微かに唸りつつ、目を眇める。
痛んだ床板と手すり、折れかけのマスト。屍が少なすぎる気もするが、この船が漂流船だったのなら嵐に紛れて船から落ちたかもしれないし、海上を飛ぶ獣や業魔が喰らったかもしれない。
それから――甲板いっぱいに広がる黒い靄。

「ああ、こりゃあ……長時間は厳しいなぁ」

甲板上に漂う穢れは、生き物の身体には毒だ。
この分では船内にも蔓延しているに違いない。だが、目の前にお宝があるのに引き下がるのは大変癪である。

「船長ー、乗船準備できたぜ!!」
「おう、ご苦労!野郎ども、乗り込む前に策戦会議だ!」

アイフリードが止めなければ、すぐにでも難破船に飛び移りそうだった乗組員たちは目を見開き、一拍おいてブーイングめいた声をあげた。

「うるせぇ!業魔になりたくなきゃ黙って従え!!」

拳を手のひらに打ちつけて一喝すると、皆一様に背筋を伸ばし、アイ・サー!の大合唱が返ってきた。よしよし、逆らう奴がいたら腹に一発お見舞いしてやるところだ。
アイフリードとて策戦会議など大袈裟かと思ったが、こちらには“死神“の加護がついている。用心しておくに越したことはないだろう。
当然のようにアイゼンも頭数にいれ、探索場所を割り振る。各自の“嫌な予感“には必ず従って行動すること。深追いはしないこと。些細なことでも報告すること。
――以上を訥々と(拳をちらつかせながら)言い含め、ようやくアイフリード海賊団は穢れの漂う難破船へ足を踏み入れた。
穢れが目に見えていると、どことなく息苦しい。
吸い込みたくない、と思っているのもあるのだろう。無意識に呼吸を制限している気がする。

(やはり、あまり時間をかけるのはよくないな…)

アイフリードは両足をデッキにつくと、気合いを入れるために拳を手のひらに打ちつけた。
パシン、と乾いた音が響き、後ろに控えていた乗組員たちの背筋が伸びた気配に口角が上がる。

「よぉし、行ってこい野郎ども!!」

身体ごと振り返りながら言えば、野太い歓声とともに海賊が各所へ散っていった。
アイフリードはどこから報告がきても飛んでいけるよう、デッキのど真ん中に待機だ。
最後にのんびりした足取りでやってきた副長は、その足が甲板に乗るかどうかのタイミングで目つきを鋭くさせ、船尾の方を向いた。

「アイフリード、なにか居るぞ」
「業魔か?」
「……わからん」

警戒心をあらわにしたアイゼンが左手首のリスレットに触れる。
答えるまでの間を問うように視線をやれば、アイゼンは苦々しい顔で聖隷かもしれないと呟いた。

「俺が足を踏み入れたときに感じたのは聖隷の領域だ。だが…かなり弱い。仮に穢れにやられて業魔化していたとしても、さっきの騒ぎで動かないのはおかしい」

聖隷も業魔化すれば周囲を襲う。
アイフリードたちはバンエルティア号を接絃させ、音高く乗船準備をし、さらには男どもの叫びを高らかに響かせた。今現在も海賊どもがあちこちで騒いでいる最中である。

「…ほんとに居るんだな?」
「居る。俺が様子を見てくる、ヤバそうなら撤退するぞ」
「わかってらぁ。引き際を見誤るようなヘマはしねぇよ。それに、アイフリード海賊団の結束力ならあっという間だ」

腕を組んで笑うアイフリードに、アイゼンは確かにな、と相づちを返してから背を向けた。
改めて目標の気配を探りつつ、呼吸を浅くして静かに近づく。
船尾はデッキよりも一段高い位置にあり、階段が身を隠す手助けをしてくれる。バンエルティア号と似たような設計で助かった。
息を殺し、そっと顔をだしたアイゼンは、手すりのそばに佇む影を見た。
一見して成人か否かの女に見えるが、髪色に聖隷の特徴が出ている。銀を基調とし、毛先に向かって色濃く入る属性色――蒼は水を司る聖隷の色だ。
業魔化はしていないようだが、おそらく時間の問題だろう。
相変わらず船はどこもかしこも騒がしいのに、女はそれを気にする様子もなく、ただ海を眺めていた。
このままお宝だけ持ち去ったら、この女はドラゴンになりどこかの土地を荒らす。もしくは、聖隷たちの意思を刈り取って利用している忌々しい聖寮の餌になりかねない。
アイゼンはわずかにしゅんじゅんしたあと舌打ちを漏らし、わざと足音を立てて女に近づいた。

「おい」

隣から声をかけると、聖隷はゆっくりと瞬きをしてアイゼンの方を見た。
動かない表情は、つい先ほど脳裏をよぎった聖寮の所業を思わせてぞっとする。

「…お前はここで何をしている?」
「……弔いを」
「弔い?なぜ」
「……わからない。どうしてだろう」
「いつからここに居るんだ」
「…空が…赤くなった日…」

ひとまず会話が成り立つことに安堵したものの、女の言う“空が赤くなった日“は一年ほど前になる。一年間も、この穢れの溢れる船に居たのか?

(これは本当にヤバいかもしれないぞ、アイフリード)

彼女はおそらくギリギリで聖隷の姿を保っている状態だ。あと一日、いや数時間で業魔化するのではないか――“嫌な予感“がする。
アイゼンの“嫌な予感“を裏付けるように女が胸を押さえてうずくまる。反射的に腕を出して彼女を支えたアイゼンの目には、彼女の身体に纏わりつく穢れが映り込んでいた。

「おい…おい、しっかりしろ!」

手で穢れを払いながら揺するも、女は蒼い顔でぐったりと倒れ込んだままだ。
これ以上穢れを取り込ませないためには、清浄なものと契約する必要がある。だが、器にできそうなほど清浄なものなどそう簡単には――

「……考えてる時間はねぇな、くそっ」

悪態をついて女を担ぎ上げたアイゼンは、大股でアイフリードの元へ戻った。ぎょっと目を見開いた彼の横を通り過ぎ、バンエルティア号の甲板に女を横たえる。

「アイフリード、バンエルティア号を借りるぞ!」
「あ?ぶっ壊したりしねぇだろうな!?」
「こいつの器にするだけだ」

回復効果のある聖隷術を施しながら、アイフリードと簡単な応酬を済ませたアイゼンは再度女へと声をかけた。
今度ばかりは応答してもらわないと困る。下手をしたらアイフリード海賊団はこの場で壊滅だ。

「本当にお前といると飽きねぇなぁ」
「言っている場合か!」

笑うアイフリードに言い返した直後、女がうっすらと目を開けた。
時間はないが、焦ると禄なことにならない。アイゼンは一呼吸おいて、女聖隷に器の契約をするよう促す。しかし――

「……けい、やく……?」

初めて聞く言葉のように聞き返され、アイゼンはまた“嫌な予感“を覚えた。

「…自分の真名はわかるか?」
「わから…ない…」

答える声は魂から必死に絞り出しているようで、聞いている方も苦しくなる。
黙って様子をうかがっていたアイフリードもそう感じたのだろう。女を支えるアイゼンとは逆側に腰を下ろすと、固く握られていた彼女の手を取り、両手で包むようにしてポンポンと叩いた。

「俺もお前も、アイゼンも。一度深呼吸しようぜ!真名ってのはあれだろ?お前たち聖隷にとって大事な名前だったよな。わからねぇなら新しく付けりゃいい…そうだろ、アイゼン」
「……ああ、そうだな」

ふいに妹の名をつけたときのことを思い出し、ふっと笑みが漏れる。アイゼンのこわばりが和らいだのが伝わったのか、女が大きく息を吐いた。
聖隷の真名は本人の性質を表すものだ。本来なら本人と近しいものにしか教えないほど、大切なものである。

「アイフリード、お前は聞くな」
「ああん!?」
「俺も聞くべきではないが、おそらくこいつには聖隷の知識がない」
「契約については後で説明してやる。今は俺の言葉を復唱しろ。できるか?」

蒼く苦しげな顔をしたまま。それでも頷いてみせた。

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