healing
寝る準備は全て終わった。
ポンとベッドに手を置いて、タツミは自分の声を確めた。
(まだ大丈夫かな)
でも時間的にそろそろだ。
今のうちに部屋の鍵をかけておこうとドアに近づくと、タイミングを見計らったかのようにノックされた。
反射で息を潜め、いかにも“タツミはもう寝ました”という雰囲気を出す。
だが相手は自分の意図などお見通しとでも言うように、クスリと小さく笑った。
「タツミ、ぼく。まだ起きてるよね?」
「……ナマエ?」
ナマエ相手じゃ誤魔化せない。
タツミは軽く息をついてドアを開けた。
無理矢理追い返してもよかったけれど、彼がこうして訪ねてくるのは珍しい。
しかも――
「そろそろ切れる頃かなって」
「…………やっぱりわざとか。あのねぇ、」
あ、と声を出したのは同時だった。
少年と少女の声が重なって聞こえ、タツミは口を噤む。
慌ててナマエを部屋に引っ張りこむと、廊下に顔を出して人気がないことを確かめた。
ガチャリと響く施錠の音を背中で聞き、ナマエに目をやる。
彼はベッドの縁に腰掛けて自分の隣を叩いた。
「変なことしないから」
「あ、当たり前だよバカ!何言ってんの!」
「……ちょっとだけ、お願いだよ」
「ナマエ?」
さすがに様子がおかしい。
タツミは訝しげにナマエを見たが、彼は困ったように笑うだけで何も言わない。
「どうしたの」
「……お願い」
「っ、仕方ないなあ…理由くらい聞かせてよね」
呆れながらの声は完全に少女のもので落ち着いていた。
タツミはやや乱暴に示された場所に腰を降ろす。
瞬間、抵抗する間もなく帽子を奪い取られた。
「ちょっ、こら!」
取り返そうと伸ばした腕をナマエにとられ、そのまま抱き締められる。
唐突すぎて何が起こったか理解できない。
「ココナ…」
自分の本来の名を呼ぶそれが泣き出しそうに聞こえて、タツミ――ココナは息を呑んだ。
――近い。
何よりも先に浮かんだのはこれだった。
そこでようやくハッとしたココナは、ナマエの腕から抜け出そうと身じろいだ。
余計に強くなる力に気づいて名を呼ぶ。返ってきた謝罪の声は小さくて、この距離なのに聞き逃してしまいそうだった。
はあ、と諦めながら力を抜けばナマエの力も弱くなったけれど、放してくれる気配はない。
いい加減苦しくなってきた。
「……理由、ココナには聞く権利あるよね?」
「…うん。でも、言ったら怒られそう」
「どっちにしろ怒るから言っちゃいなよ」
「厳しいな…………ホームシック、みたいなもの、かな」
「は?」
言いづらそうに紡ぎだされた内容に端的に返事をしてしまう。
ほーむしっく?
ナマエの言葉を繰り返して噛み砕く。
変わらない姿勢のせいで見ることができないけれど、ナマエは苦笑したようだった。
「こっちに来て結構経つけどさ。ときどき、無性に帰りたくなる。…帰れるのかなって不安になる。…………笑ってもいいよ」
「…笑わないよ」
笑えるわけがない。
ナマエが弱音を吐き出すタイミングの方が早かっただけで、ココナにも覚えがある感覚だった。
ナマエは自嘲気味に笑い、情けないなとこぼした。
「ぼくがココナに頼られたいのにさ、難しいね」
「別にいいんじゃない?」
「ふふ、やっぱり君はかっこいい」
「…何言ってるのさ…っていうか、そろそろ放してほしいんだけど」
「うん」
「うん、じゃなくて」
怒るよ、と続けて言えばナマエは名残惜しそうにしながら身体を離した。
「…ねえ、ココナ。また来てもいい?」
首を傾げての問いに、ココナは仕方ないなと苦笑してナマエに条件を突きつけた。
「ただし、今日みたいにいきなりは禁止!あと、抱きつくのも駄目」
「えぇー」
「駄目ったら駄目!」
渋々ながら頷くのを確認して、その日はナマエを見送った。
――後日。
「ねぇタツミ。今夜部屋に行ってもいい?」
言いつけどおり伺ってくるナマエは周りを気遣っているのか控えめだが、その内容はいかがなものか。
「思ったんだけどさ、髪をいじるのはあり?」
「は?」
「だから、抱き締めるのが駄目なら――もがっ」
ナマエの口を塞いだタツミは、もっと言葉を選べと言いたいのを堪える。
そっと周りを伺って聞かれていないことを確認して安堵したけれど、ナマエが笑うのを見てわざとだと気づいてしまった。
――今夜は絶対断ってやる。
冷たく、と意識しながらナマエを睨みつける。
ナマエは気にした風もなく、身を屈めた。距離が近い。
「弱音は君の傍でだけだから」
そっと囁いてナマエが笑う。
ココナはあっさり揺らぐ決意に自分に驚きながら、振り払うように首を振った。
アルトネリコ 短編
2002文字 / 2010.06.22up
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