カラクリピエロ

最初はただの好奇心


――真田先輩はかっこいい。

教室で女生徒が騒いでいるのを聞いたのが最初、次が学園前で囲まれてるのを見たとき。
そのとき順平に聞いた話――連戦無敗のボクシング部主将――は素直にすごいと思ったが、正直(失礼だけど)黄色い声で騒がれるほどかっこいい人には思えなかった。

確かに見た目は文句なしに良いと思うが、名前の真田に対する印象がそれとは程遠かったせいだ。

クールで硬派で頭が良くてスポーツ万能。
後者2つに関してはこちらに来たばかりの名前はよく知らないので除くとして、硬派はともかくクールという言葉と真田は結びつかないと断言できる。
クールな人は普通、得体の知れない“怪物”と対峙するというときに「ワクワクするだろ?」なんて言わないと思うのだ。さらに美鶴にやり込められて押し黙るところまで目撃してる身としては、直情型というイメージが強い。


「…苗字
「はい?」


寮のラウンジで、一人がけのソファにぼんやり座っていた名前は、食事中だった真田に声をかけられて彼に焦点を合わせた。今日の真田の夕飯は牛丼のようだ。


(…今日も、かな)


プロテイン用なのかカルシウム摂取のためなのか、500mlの牛乳パックもある。
体作りのマニュアル本に載ってるような人だと思って見ていると、わざとらしく真田の咳払いが聞こえた。


「どうしました?」
「いや…それは俺が聞きたいんだが。さっきから見ていただろう、何か用か?」
「えー…と、そうですね……」


全然意識してませんでした。
正直に告げてもよかったけれど、これは会話をするチャンスだ。とはいえ、ただ思考に耽りつつ真田の輪郭を捉えていた程度に過ぎないので聞きたいこともない。


「その、プロテインて美味しいのかなーとか……」
「なんだ、それなら早く言えよ」


適当に言っただけなのだが、真田は何故か嬉しそうに笑顔を見せて――なるほどこれが女生徒を惹きつける要因か、と納得してしまった――名前の前に先ほどまで彼が飲んでいた牛乳パックを置いた。


「……あの、」
「しかし意外だな。筋力作りか?リーダーとしては頼もしい気もするが、まだ始まったばかりだし、無理はするなよ」
「はぁ、ありがとうございます……で、先輩…この牛乳は?」
「?」
(いや、なぜそこで不思議そうな顔を…まさか、飲めと?)


名前の適当な話にあわせて差し出されたということは、プロテインが溶かされている牛乳なのだろう。
豪快に注ぎ口が開けられているだけのパックを見て困惑した。せっかくだから味が知りたいという好奇心と『これって間接キスになるんじゃないかな…』という考えが拮抗している。

困惑する名前をよそに真田はマイペースに食事を進めており、飲まないのかと追い討ちをかけた。


「まさか、ストローが欲しいとか言わないよな?」
「言ったら出てきます?」
「生憎、そんなものはない」


飲まないなら、とあっさり名前から牛乳を取り上げて飲み干してしまった真田は、手を合わせて食事の終了を告げた。


「ちょっとくらい私が答える時間くれても…」
「ほっといたらあっという間に不味くなるんだから仕方ないだろう」
「じゃあせめてどんな味かとか……って先輩、どこ行くんですか?」

ゴミを片付けた真田は上着を肩に引っ掛けて扉の方へ向かう。影時間はまだ先だが外はもうとっくに暗い時分だ。
名前の問いに顔だけを向けて、「食後の運動」と短く告げた真田はもう取っ手に手をかけたところだった。


「ちょ、待ってください」
「なんだ、苗字も行きたいのか?」
「興味はありますけど、食後すぐの運動って良くないと思いますよ?おなか痛くなったりするし…」
「…………そうだな」


ふっ、と軽く笑って扉から離れた真田がソファの方へ戻ってくる。
だがどうにも落ち着かない様子で立ったままウロウロしているので(正直鬱陶しい)聞いてみたところ、「今までの遅れを取り戻さないといけないからな」と苦笑交じりの答えが返ってきた。


「先輩のトレーニングメニューってちょっと気になります。さっきの話じゃないですけど、筋力も体力もあると今後便利だと思いますし」


薙刀の練習もしたいし、と独り言程度に付け足すと、横に立った真田の手がポンと頭に置かれた。


「先輩?」
「お前のペースでやればいいさ。部活も入ったんだろう?」
「それは……はい」


不幸中の幸いとでもいうのか、部活は理緒と二人きりという打ってつけの状況になっている。いっそ理緒に相談してみるのもいいかもしれない。

無理をしていざというときに役立たずなんてことにならないように、確実に。
ぐっ、と両の手のひらを握り気合を入れた名前に、真田が声をかけた。


「……俺がお前のメニューを組んでやってもいいが」
「え!?」
「女子には相当きついと思うぞ」
「が、頑張ります!だから、あの…お願いします!」


名前は思わず立ち上がって頭を下げる。真田は「大袈裟だ」と漏らして笑ったが、名前にとっては願ってもない申し出だ。


「あ、先輩」
「なんだ」
「プロテインは組み込まないでくださいね」
「…………わかった」


確実に入れるつもりだったのだろう。一瞬難しそうな顔をしたのを見逃さなかった名前は、心底先手を打ってよかったと思った。


苗字、明日でもいいか?」
「もちろんです。できれば紙とか、手元に残るもので欲しいんですけど」
「そうだな」


パタパタと自身のポケットを探っていた真田が顔をしかめる。仕方ない、と呟いたかと思うとおもむろに右手を出した。

「なんです?」
「携帯だ。貸せ」
「……先輩って命令口調、癖なんですか?」


引っ掛かりを覚えながらも言われたとおり携帯を出すと、しれっと「そんなことはない」と言い切られた。後輩限定ということだろうか。
渡したはいいものの、機種が違うからわからんと突っ返され、名前が言われたとおりのアドレスに空メールを送る。


「真田先輩のアドですか?」
「そうだが…余計なところに教えるなよ」
「…先輩のファン、とか?」


なにか苦い経験でもあるのかうんざりした表情を見せた真田は、「わかったな」と念押した。
確かにあの熱狂的なファンの皆さんにアドレスの一つも広まった日には、真田の携帯はひっきりなしに受信音を鳴らしそうだ。


「それと苗字、俺は月曜か金曜の放課後なら空いているから」


告げられた意味をすぐに理解できず、名前は「はぁ」と間の抜けた返事をしてしまった。


「暇だから遊ぼうってことですか?」
「馬鹿、違う。トレーニングに付き合うって言ってるんだ」


――ああやっぱりクールには程遠いなぁ。
そんなことを思いながら、名前の中ではまた一歩噂と真田の印象が遠ざかる。


「…先輩、たまには遊びません?」
「遊ぶと言っても、俺はそういうのに疎い」


潔いほど言い切った真田を見て、名前は思わず噴出してしまった。僅かに目元を赤くした真田が言い訳のように「仕方ないだろう」と言うが、顔が赤い時点で逆効果だった。


(かっこいいっていうか……)


可愛い。

ドキリと大きく跳ねた心臓にハッとする。いやいや、そんなまさか。
きっとこれは好奇心に違いない。噂とあまりにも違うから、ちょっと先輩に興味がわいただけ。

ゆっくり息を吸って吐き出した名前は、今のを知的好奇心と断定して流すことにした。


「先輩が知らなくても、私が案内しますから。ね?」
「そ、そうか…まあ、それなら。たまにだぞ」
「はい、約束ですよ」





約束を交わした部活休みの金曜日。
真田ファンの強烈な視線に耐えられず、名前が真田との帰宅を断念する羽目になるのはまた別の話である。

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