カラクリピエロ

最初の一歩はまだ遠く Phase-7


――決戦は金曜日。


昨日のタルタロス探索はすごく疲れた。
満月が近いからと張り切る先輩コンビは積極的でフロアの番人を倒すまでに至ったし、テオの依頼品も必要以上に手に入れられた。
もちろんそれには十分満足で気分的には回復したといってもいいくらい。
でも、順平の行動は謎すぎて、回復どころか疲労した。


番人を倒し終わったあと。
風花に『もうここに敵はいませんね』とお墨付きをもらったので、少し休憩しましょう、とみんなに声をかけた。


名前さー、あの噂どう思う?」
「順平…私エスパーじゃないから」
「んだよノリ悪ぃな、今の噂っつったら一つじゃんか」


私の横へ移動してきた順平が、なぜか小さい声で「白河通りのやつだよ」と言った。


「どうって…ニュースとか見てるとシャドウの仕業じゃないのかな、やっぱり」
「そーじゃねぇって。いつもと違ってさ、2人セットでーとか意味深じゃん?その辺についてどう思いますかって聞いてんの。つかお前白河通りって知ってる?」


転校してきたとは言ってももう7月だ。
あちこち探索するのは好きだし校内の噂はやたらと耳に入るから(というか、わざわざ教えてくれる人が多いんだよね)内容はもちろん、場所くらい知っている。
くだんの白河通りはネオンが眩しい歓楽街――というよりも……


「っ、セクハラ!」
「いっ!!ばっか、それ当たったら絶対ぇイテェって!」
「実際体験してみたら?」


順平に向かって回転させた薙刀の柄の部分は、順平が持っていた大剣がしっかり受け止めてしまった。
こういうときの反射神経はやたらと鋭いんだから。


「おい、何をしているんだ君たちは。苗字、仮にも仲間に武器を向けるというのは感心しないな」
「か、仮にもって…桐条先輩?」


私が武器を引かないせいで順平も動けない。
順平は受け止めている部分をプルプルさせながら、複雑な表情で美鶴先輩を見た。
美鶴先輩が重ねて私の名前を呼んだのが聞こえたけど、ここであっさり引くのは私の気持ちが治まらない。
無言で順平を睨むと、視線に気づいた順平はこっちを見てへらりと笑った。
…反省してないってこと?


苗字


最近やたらと聞くようになった低音が、すぐ後ろから聞こえて思考が止まった。
直後に私の両側から腕が伸びてきて、皮手袋をつけた手が薙刀を掴む。

…いや、ちょっと、まってください?なに、なんなのこの状況は。
背中があったかいというか顔が熱いというかとりあえず順平の顔がムカつく。


「いくらなんでも危ないぞ。男なら正々堂々拳で勝負だろ」
「明彦、苗字は女性だぞ」


動かない…動けなくなった私の代わりに、真田先輩が薙刀を降ろすのが見える。
順平が大きく息を吐いて、わざとらしく額を拭う動作をした。
完璧に硬直してしまった私を不審に思ったのか、真田先輩が「苗字?」と声をかけてきた。

――もう限界です。


「は、離れてください!!」


薙刀を右手で持って、空いた左手を利用して真田先輩と距離をとる。
先輩は私の挙動に驚いているようで、何度か瞬きを繰り返していた。


「どうした?」
「どうしたじゃないです!近いです、近すぎます!普通そうやっていきなり密着したら怒られますよ!?」
「いきなりって…声かけただろうが」


もしかしてあの呼びかけのことを言ってる?
呼ばれて耳元で声がするまで1秒も…って思い出しちゃったじゃないですか先輩のばか!!

何か言おうにも言葉にすることができなくて、すがるように両手で薙刀を握る。
このまま先へ進むにも戻るにも私が指示をださないといけないのに、なぜか声が出ない。混乱している。順平の質問と真田先輩との接触が続いたからだろうか。

ぐるぐる考え込んでいるとカツン、とブーツの音が響いた。
音を一つ出すだけで視線を集められる美鶴先輩はすごい。


「埒が明かんな」


今更だけど、リーダー交代したほうがいいんじゃないか――そう提案しようとしたのに。


苗字、ここでは君がリーダーだ。はじめに推薦したのは明彦だが、君の能力や現場指揮は私も買っているし異論はない」


美鶴先輩って実はエスパーだったり…しないかな。
咄嗟に謝ると、美鶴先輩は困ったように視線を泳がせて腕を組んだ。


「いや、そうじゃない…責めているわけじゃないんだ、すまない。ただ…そう、君が伊織に刃を向けた理由がわからない。よければ教えてくれないか」
「…それは、つい、と言いますか…」
「つい?衝動に駆られて、ということか?」
「……はい」


まるで尋問にでもかけられている気分になる。
ここはタルタロスの一角で、目の前にいるのは私の先輩で仲間なのに。


「すみません」


先輩の顔を見ていたつもりが、いつのまにか自分のローファーとタルタロス特有のどこか不気味なデザインの床しか目に入っていなかった。
顔上げないと。
そう思った瞬間、頭にポンと軽い衝撃があった。
ポンポンとリズムよく続くそれは温かくて…よくわからないけど、なんだか泣きたくなった。


「美鶴、あまりこいつをいじめてやるな」
「真、田、先輩…」
「ん。この距離も駄目か?」


慌てて首を振ると、「そうか」とだけ言って先輩の手が止まった。
…………。
なんか、私…なんだろう、これ。うまく言いあらわせない。
心臓の辺りがぎゅうっとなる感覚。密着されたときと似てるようで違うような不思議な感じ。
あの時はとにかく離れたかったのに…今は先輩にずっと撫でて欲しいって思ってる。


「――おい明彦。それはどういう意味だ?」


心持ち低くなった(気がする)美鶴先輩の声にハッとして顔をあげると、いつもより鋭い視線が美鶴先輩から真田先輩に向けられていた。怖い。
その視線を受け止めているはずの真田先輩が笑ってることにすごく違和感がある。


「美鶴の質問の仕方は怖いんだよ。見ろ、苗字が怯えてるじゃないか」
「ご、誤解です!」


いや、正確には誤解じゃないかもしれないけど(だって真田先輩に向ける視線が怖かったから)、言ってもややこしくなるだけだ。
それよりも声を出すと同時に強く首を振ったせいで、頭が少しクラクラする。

私は自分の額を軽く押さえて、落ち着くために深呼吸をした。
別に美鶴先輩に注意されて凹んでたわけじゃない。それだけは伝えないと。


「自分はリーダー失格だなーって思ったというか…えーと…つまり、自己嫌悪ってやつなんです」
「お前はよくやっているさ」


すぐに声が振ってきて、頭にあった手が少し乱暴に髪をかき混ぜる。
きっと髪ぐしゃぐしゃだろうなと思ったけど、今はその言葉がすごく嬉しかったから直すときの苦労は考えないことにした。


苗字、私も君は十分すぎるほどよくやってくれていると思っているよ。……ふふ、そうか。これを先に言っておけばよかったな」
「美鶴先輩…」


嬉しい。なんだか勝手に顔が緩む。
だって私にとって先輩は目標で、理想。褒められて嬉しくないはずがない。


「――ところで肝心の理由を聞いていないんだが…伊織、どこへいくつもりだ?」
「は、はい!?なななんスか桐条先輩」


どういうわけか珍しく静かにしていた順平は、美鶴先輩に声をかけられてやけに大きい声を出した。
わかりやすいくらい動揺しているうえに、私たちとの距離がだいぶ開いている。
…それを察知した美鶴先輩が鋭すぎるのか、それともペンテシレアの能力なんだろうか。
どうでもいいことを考える私をよそに、観念したのか順平がこちらへ戻ってくる。


「伊織、私は君にも聞きたいことがあったんだ」
「拒否ってありッスかね」
「無論、ない」


そッスよねー。
そう言ってうな垂れる順平を見ていたら、一瞬だけ視線がこっちに向けられた。

いつもの順平と違う。

咄嗟にそう感じた。
いつもは、さっきまでは…楽しそうだったり明るかったり優しかったり…温かい、のに…


苗字?」
「…え?」
「どうした」


聞かれている意味がよくわからない。
真田先輩は難しい顔をして、また私の頭を撫でた。どういうことだろう。
先輩の行動を不思議に思いながら、私は順平の視線にただ驚いていた。
何か悪いことをしただろうか。
どちらかといえば私が文句を言う立場だと思う――もうやったけど。


「すんません、もっかいお願いします」
「君は苗字に性的嫌がらせをしたのかと聞いているんだ」
「ちょ、なんスかそれ誤解ッスよーー!!名前名前っチ、ヘルプーー!!」


……さっきのは気のせい?
思わず自分の目をこする。いつもと何も変わらない順平だ。
私の行動を見ていたらしい真田先輩が「眠いのか」と見当外れのことを聞いてきた。
それを笑いながら否定して、私に手を振る順平の方へ行く。
――丁度、美鶴先輩が鞘からレイピアを抜いたところだった。

…………あ、あれ?
先輩、さっきなんて言ってましたっけ?

美鶴先輩の矛盾に混乱する頭を強引に働かせて、とりあえず順平と美鶴先輩の間に入った。


苗字は衝動に駆られてと言ったがそれには理由があるはずだと踏んでな。君は伊織に向かって叫んでいただろう」
「えーと……はい、セクハラって言いましたね」
「それ!それが誤解の元なん…うわっ!」


順平の言葉の途中で、レイピアが風を切った。
わあ、かっこいい。そういえば最近新調したんだっけ。
現実逃避のように、私と順平の隙間を縫って壁につきささる先輩愛用の武器を見つめる。


「せ、先輩!ほら順平は仲間ですよ!?さっき私にもそう言ってくれたじゃないですか!」
「仲間だからこそ、裁かねばなるまい」
「ででででも!それで刺したらいくら順平でも死んじゃいます!」


…それもそうだな。
静かに呟いた先輩が壁からレイピアを抜き、綺麗な動作で鞘に収めた。

仲間割れは駄目。でも仲間が悪いことをしたら力を使ってでも罰を与えて更生させる。
…それが美鶴先輩の持論なんだろうか。
極端だし、どうしても矛盾してると感じる。

なんでもスマートに完璧に。
それが美鶴先輩のイメージだった。でも先輩にも精神的暴走をするスイッチがあるんだと思ったら、少し親近感が湧いた。


「…あはは」
名前!んな笑ってる場合かよ!」
「安心しろ、伊織。私が更生させてやる!」


美鶴先輩の中で、いつの間にか順平はセクハラ罪が確定されているようだ。
レイピアの変わりに召喚器が握られている。これはやばい。

誰か…真田先輩!
助けを求めるようにして先輩の姿を探すと、真田先輩はグローブを嵌めてシャドーボクシングに勤しんでいた。
素早く前後するジャック兄弟が可愛いんだかまぬけなんだかよくわからない。


「っていうか助けてくださいよ!!」
「ん?なんだ、終わったのか?」
「ペンテシレア!」
「ぎゃーーーーー!!」


背中で順平の悲鳴を受け止めながら、私は思い切り目を瞑ることしかできなかった。

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