カラクリピエロ

最初の一歩はまだ遠く Phase-6


満月まで残り数日。


「ただいまー」
「帰ってきたか」
「うわっ」
「なんだ、失礼なやつだな」


扉を開けて目の前に人が立っていたら、普通驚く。
反射的に謝ると、真田は笑いながら「入らないのか?」と促した。彼は上下ともにジャージ姿で、これからロードワークに行くようだ。


「先輩、試験勉強大丈夫なんですか?」
「問題ない。大体授業をしっかり聞いておけばそんなに苦労するものでもないだろう」
「そ、そーですね…」
「試験も大事だが満月も近い。準備を怠るなよ」
「はい。あ、すみません邪魔して。いってらっしゃい、気をつけて」
「…いってくる」


場所を空けると、真田は何故か名前の頭にポンと手を置いてから出て行った。しかも微笑みつき。


(…なんで?)


なんとなく真田が触れたところに手をやって髪を触る。何もないことを確認してラウンジを横切ると、ニヤニヤ笑っている順平と目が合った。


「……ただいま」
「おっかえり~、遅かったじゃん。部活?」
「今日は委員会。順平、その顔やめて」
「ヒデェ!これデフォルトだっつーの!まぁ名前と真田サンのラブ光線にあてられてちょいと笑顔二割り増しにはなったかもしんねーけど」
「ラブとかないから。気のせいだから」
「いいじゃん、別に隠さなくても。オレっち全力で協力させてもらうし?名前ならいけるって、押せ押せ!」
「だ、だから…」
「つか真田サンすげぇよな~。『苦労するものでもない』とか言ってみてー!」
(話し聞け!)


順平が組んだ足の上に乗せている雑誌をぺらりとめくる。
ラウンジに女性陣の姿はなく、順平によればどうやら部屋で勉強しているらしいとのことだった。


「順平はしないの?」
「気分じゃないっつーか…」
「気分が乗るときなんてないくせに」
「うわグサッと来たよ今。お前可愛い顔して言葉に棘ありすぎ。それよりタルタル行こうぜ~」
「行くけどさ、影時間までまだ時間あるでしょ。教えてあげよっか?」


順平の横に座りながら言うと、彼は少し考えて(2,3秒程だったように思う)首を横に振った。


「今からしたってどうせ忘れるんだから意味ねーって」
「そういうこと言う人って、大体直前までやらないで一夜漬けになったりするんだよね……」


フフフ、と笑う名前の言葉は図星なのか、ギクリと体を動かした順平が名前の笑いにかぶせるように、乾いた笑いをこぼした。


「ほら、名前っチ。これやるからオレっちのことは放っといてください!」
「なに?」
「アメ?」
「なんで疑問系のもん渡すかな……ありがと………って、ちょっ順平!これなんか溶けてない!?」


手の中に転がされたのは母の味でおなじみのソフトキャンディだった。いびつどころかプレスでもされたかのように半分につぶれている。


「食えるって。へーきへーき」
「もー……もらうけどさぁ…あと3つ欲しい」
「ちょ、ねーよ!」
「あ、できたら原型残ってるやつで」
「だからねーっての!こら名前!」


止めるのを振り切って順平の制服に触れてみる。ズボンのポケット辺りを叩くとガサガサ音がした。
これはアレだ。なんとなく『ちょっとジャンプしてみろ』と言いたい状況だ。
あいにく順平は座ったままで、それを立たせる腕力もないのでできないが。


「順平、ゴミくらい捨てたほうがいいよ」
「うっせ。っつーかどいてくだサイ。近いんで」



「……あんたら何してんの?」



「「ゆかり」っチ」


休憩か気分転換か、制服のまま降りてきたゆかりが階段付近で固まっている。いかに順平がだらしないかを報告しようとした名前を押しのけて、順平が立ち上がった。


「誤解だからねゆかりっチ!オレらなんもねーから!勘違いしないでよね!?」
「なにそれツンデレごっこ?」
名前っチは黙るよーに」
「…なんでもいいけどさ、あんま騒がないでよね。集中できないから」
「なんでもいくねーよ!」
「もしかしてうるさかった?」
「……まあね」


苦笑して肩を竦めるゆかりに慌てて謝る。
ゆかりは休憩のついでに注意しようと降りてきたとのことで、「気をつけてよ?」と笑ってくれた。


「そうだ、名前
「ん?」
「悪いんだけどさ、ちょっと教えて欲しいとこあるんだ。いい?」
「いいよー。私も勉強しようと思ってたの。3階のさ、スペース使わない?風花も呼んで」


言いながらソファにおきっぱなしだった鞄を持ち上げる。
挨拶の代わりか、順平に軽く手を振った名前は小走りでゆかりの待つ階段のほうへ向かう。
精神力を消費したあげく放置された順平は、だらりとソファにもたれかかった。


「…ハァ、無駄に疲れたっつーの」


夜に備えて軽く寝ておこうか。
背中を預けながら、順平は帽子を外して小さく溜息をついた。



◇◇◇



「風花くるかな?」
「貢物がこれに」
「なにこれ」
「ミルキー…っぽいもの」
「っぽいものって…名前、」
「味は大丈夫って言ってたから大丈夫!」


ゆかりと笑い合いながら階段を昇る。
先月から新しく仲間になった山岸風花は雰囲気の柔らかな癒し系で、名前はすぐに仲良くなった。
今では料理部で一緒にお菓子やら謎の物体を作ったりする仲で、名前にとっては理系の頼もしい先生だったりもする。

一応は勉強会のつもりだが女子高生が3人固まって騒がないまま終えるのは難しい。
共有スペースとはいえ、へたに騒ぐのも美鶴に悪いと思い、風花を迎えに行く前に美鶴の部屋のドアをノックした。


「桐条先輩なら居ないよ?」
「あ、そうなの?」
「うん、なんか忙しいみたい。影時間までには戻ってくるからタルタロスの探索はいけるって言ってたけどね」
「そっかー」


いないのなら仕方ない。少し残念に思いながら隣のドアに移動する。
ドアを軽く二回叩くと、一泊おいてくぐもった声がした。


名前です、今いい?」


すぐにドアが開けられて、驚いた表情の風花が出てきた。


「どうしたの名前ちゃん。あ、ゆかりちゃんも?」
「風花サン、よければ一緒に勉強しませんか?」



◇◇◇



「いい国つくろう……」
「鎌倉幕府?」
「うん。小田桐くんがね、『苗字くん、ここは勉強しておいたほうがいい。小野先生の出題傾向からしてきっと出るだろうから』ってマーカー引いてくれたから出るよ!えーと、源……」
「n、名前ちゃん、別に声真似は…」


笑いを堪えているらしい風花が肩と声を震わせる。
つられたのか我慢できなくなったのか、直後にゆかりが噴き出した。


「そ、そんな笑われると恥ずかしくなるでしょ!」
「いやー、でも似て…た?んじゃない?ね、風花」
「え!?ええっと、うん、きっと!」
「無理にフォローしてくれなくていいから。逆に悲しいからね…」
名前、ツッコミが順平に似てきてるよ」
「え、やだ!」
「あはは、全力拒否!」
「でも、順平くんって和ませ上手だよね」
「余計なこと言ったりすることも多いけどね。なんか短気だし」
「それゆかりが言うんだ?」
「悪いけど名前にも言えるからね?」「え、えっと、休憩!休憩しようか。この前部活で作ったのがあるからお茶に…」


がたん、と椅子を鳴らして立ち上がる風花は漂い始めた空気をなんとかしようと必死だ。
名前もゆかりも当然冗談交じりなのだが、微笑み合いながら互いを短気と称する様子に不安になったのかもしれない。
しかし、料理部の単語に反応した名前が風花の腕を掴み、部屋に戻ろうとする足を止めさせた。


「ふ、風花、料理部のって…?」
「え…?あ、やだ。ちゃんとリーダーが作ったやつだよ、心配しなくて大丈夫」


ふわりと穏やかな微笑みを残して風花が一旦部屋に戻る。
奇抜な色合いのカップケーキが少々トラウマになっている名前は安堵の息を吐いて椅子にもたれかかった。


名前、料理もするの?」
「風花に誘われてね、料理同好会。お菓子作ってるよ」
「あんたってほんと活動的だよね…疲れて倒れたりしないか心配だよ」
「まーだまだ、全然へーき。ゆかりは心配性ー」
「ったく…………ねえ、あれからどう?」


唐突に変化したゆかりの真剣な声音に姿勢を正した名前が、意味を問う意図で僅かに首を傾ける。
ゆかりは少し言いづらそうにしてから「真田先輩のさ、」と小さく言った。


「あ、それ聞いて!私、優雅にかわせるようになったんだよ!」
「…ごめん、意味わかんない」
「だから、親衛隊の視線チクチク攻撃を微笑みでやりすごせるようになったの!小言攻撃は最近弱まった気がするかなぁ」


身をもって彼女らの重圧を知るゆかりは疑わしげに名前を見るが、極めて明るく言い放つ彼女に取り繕っている様子はない。もう少し詳しく話を聞こうと口を開いたところで名前の呟くような声が耳に入った。


「だからね、もうちょっとだと思う」


にっこり笑って言われた言葉が理解できず、ゆかりは何度も目を瞬かせる。
名前はそれに構わず、次のテストが勝負と言って握りこぶしを作った。


「…次?」
「うん。私、期末の結果に賭けてるの。協力してね」
「や、ちょっと待って。ついていけてない」


ゆかりは思わずこめかみを押さえながらテーブルに肘をつく。
そうしているうちに風花が戻ってきて、不思議そうにゆかりを見やった。


「ゆかりちゃん、具合悪い?」
「この子のせいでね」
「ちょ、なんで!?私何もしてないでしょ」


流れ上風花にも今までのいきさつを話すはめになり、テスト勉強はしばらく中断された。
訥々と語られる“打倒親衛隊”物語(若干脚色あり)を聞きながら風花はしきりに感心し、ゆかりは適度にツッコミを入れた。
授業をはじめ生徒会や委員会、部活などなど名前は目標通り学園内で有名人になりつつある。そんな彼女の予想では、次の期末で上位に入れれば親衛隊も認めるに違いないとのことだ。


「そっかあ…最近名前ちゃんの話、よく聞くなーって思ってたんだけど、そっかぁ。名前ちゃんて頑張り屋さんなんだね」
「そん、な…ことは……」


ぎゅっと手を握られてストレートに褒められた名前は俯くと、落ち着かなげに視線を泳がせた。
自分から行動することに抵抗はないが、それに対する評価への反応は苦手だ。
にこにこしている風花にかろうじて礼を言うと、ふいにゆかりが口を開いた。


「…ね、名前。今更聞くのもアレなんだけどさ」
「ん?」
「そこまでして真田先輩と一緒にいたいの?」


風花が持ってきたクッキーを半分に割りながら、ゆかりが視線だけを名前に向ける。
隣では風花が「え、え、え?」と戸惑いがちに顔を赤くして頬に手をやった。


「…なに言って…」
「だからさ、親衛隊に認めさせたいってことは、邪魔されずに真田先輩と話したいからでしょ?」
「それは…約束、したから…」


そうだ。それだけだ。
真田が部活のない日は暇だと言ったから、それなら一緒に帰りたいと――


(ちょっと待って、私は先輩と一緒に帰りたいの?)


真田を誘ったことがきっかけなのは確かだ。だが、今は?


『――頑張ってるのは誰かのためなのかなって』


ふと、いつだったか沙織に言われた言葉を思い出した。
今までは真田の取り巻きの動向ばかり気にしていたけれど、自分は無意識にその先を目指していたのだろうか。


「親衛隊への対抗心…っていうか絶対意地だと思うんだけど……」


ブツブツ言い出した名前を心配そうに見やり、ゆかりと風花は顔を見合わせた。


「ヤバ…私、言っちゃいけないこと言ったかな」
「え、えっと…とにかく、もうすぐ影時間だし一旦お開きにしない?」
「そうだね。名前、ほーら。戻ってきてよ」


トントン、と肩を叩かれようやく二人に焦点を合わせた名前は、やっぱりわからない、と呟いて頭を振った。


「みたいだね…ごめん、変なこと言って。振っといてなんだけど、別に無理して答え出すことないと思うよ?」
「うん……でも…」
「…ね、名前ちゃん。それ、たぶん実現した時にわかるんじゃないかな。ほんとに意地しかないなら真田先輩と帰ったとき達成感と一緒に冷めると思うし、もし違うなら…そのとき気づけると思う」


そう言って風花は軽く名前の腕に手を添え、微笑んだ。
名前が頷くのを確認した風花はタルタロスへ行く準備をするからとすまなそうに断り席を立つ。その背中を見送りながら、名前は風花の言葉を反芻していた。


「達成感、か……ねえ、ゆかり。さっき期末明けって言ったけど、明日に変更」
「早っ!名前がいいなら別に止めないけど…ついてこうか?」
「……ありがと。でも大丈夫、鍛えてるから」


グッと両手を握り気合を入れた名前は明るく笑う。
それでも心配そうにするゆかりに念を押すように「大丈夫」と重ねて言うと、タルタロスへ向かうべくゆかりの背中を軽く叩いた。

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