カラクリピエロ

最初の一歩はまだ遠く Phase-3


その日の夜。
ラウンジのテーブルに広げられる教材を見て、寮に戻ってきた順平は「うへぇ」と声を上げた。


「おかえり順平」
「おー。てか何?その眼鏡何?お前目悪かったっけ?」


いち早く気づいて声をかけてきた名前の顔に見慣れぬアクセサリーを見て、つい矢継ぎ早にたずねてしまう。名前はわざとらしくフレームに手を添えて、「気分です」と言い切った。


「へー、変わってますネー。つーかさ、テスト終わったばっかだっつーのになんでこんなとこで勉強してんの?」
「美鶴先輩にお願いしてわかんないとこ教えてもらってるから」
「なんで急に」
「私、今日から勉学にも力を入れることにしたのです」


評判を上げるには勉強も出来ないとでしょ、とよくわからないことを言い出した名前の隣で美鶴がクスリと笑う。


「伊織、よければ君もどうだ?君の順位を上げるために協力しようじゃないか」


先日張り出されたテスト結果を当然見ているが故の言葉だろう。“下から数えた方が早い”という結果を出した順平を見る目が冷たい。口元は優しげにカーブを描いているが、ひんやりとした空気が伝わってくる。


「…え、遠慮するッス!名前、今日オレっちタルタル無理だから!」
「わかったー」


先輩、ここなんですけど…と質問する声を背に受けて、順平は逃げるように自室へと戻っていった。


苗字、できるだけ君に協力したいが私もなかなか忙しい身だ。今日はたまたま時間が空いているが、明日からは難しいかもしれない」
「あ、はい。もちろん先輩は先輩の用事優先させてください」
「そうか……悪いな。代わりに明彦に話をつけようと思ったんだが、あいつも他校との練習試合が近いとかで帰りが遅い。タルタロスへ行く時間を考えると難しいだろうな…」


憂い顔も綺麗だなぁ、と思う傍らで耳に入った情報に、また放課後のやりとりを思い出しそうになる。
必死に振り払い、真田の姿が見えないのはそのせいかと納得した。


「ありがとうございます、大丈夫です。…正直教えてもらえると思ってなかったんで十分すぎるというか」
「…ふふ、君は正直だな。率直というか」
「ご、ごめんなさい。でも、あの、悪い意味じゃないですよ?」
「わかっているさ。私も自分がこうして誰かと勉強するなんて思わなかった」


微笑みながら優雅にティーカップを傾ける美鶴に安堵して、煩わしくなってきた眼鏡を外す。
形から、と思ってかけてみたがあまり効果はないようだ。


「君は自覚しているかわからないが、存外顔が広いようだな」
「あ、さっきゆかりに似たようなこと言われました。名前はだいぶ広まってるとか」
「いや、交友範囲という意味で、だ。そこで提案だが、友人に教わるというのはどうだ?」


どうやら美鶴は先ほどの続きについて、また考えてくれたらしい。
友人と言われてすぐに浮かんだのはゆかりと順平だが、二人ともテストから開放された喜びに浸っているのを知っている身としてはそれを邪魔したくない。
それに、ゆかりはともかく順平は「それより遊びに行こうぜ~」と言い出しそうである。


「…どうでしょうか。断られそうな気がします、ものすごく」
「そうか?少なくとも小田桐は喜んで君に協力すると思うが」
「小田桐くんですか?え、生徒会の…?」
「ああ。彼は文系教科が得意だったと思う。それにいつもは君が私たちを手伝ってくれているんだ、たまにはテイクしないとな」


美鶴の案に、ようやく“交友範囲の広さ”について触れられた理由がわかった。
教科毎に教わる相手を変えたらどうかということだろう。


「先輩ってば勝手に言っちゃっていいんですか?私、美鶴先輩から小田桐くんを推薦されたって言っちゃいますよ?」
「構わないさ。逆に断られたら報告してくれ。“生徒会長”から頼んでみよう」


珍しい美鶴の茶目っ気に、名前は声をだして笑った。

Powered by てがろぐ Ver 4.4.0.