カラクリピエロ

最初の一歩はまだ遠く Phase-1


中間テストの結果が張り出され、ようやく解放感に満たされるはずの日。
好成績を残して、通りがかった美鶴に「グレイトだ苗字、あとで良いものを渡そう」と褒めてもらえたにもかかわらず、苗字名前はイライラしていた。

原因は放課後にした真田とのやりとりだ。真田に直接の原因はなく、さらに詳しく言えば“親衛隊”のお姉さま方のせいだった。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い――彼もある意味被害者だろうが――暢気にグローブの手入れをしている真田を見て「ファンの教育してください」と無茶な要求を叩きつけそうになった名前は、溜息をついて衝動をやり過ごした。


「どうした」
「……先輩のせいです」
「は?」
「いえ、なんでも」


真田は悪くない。近寄るだけで鋭い眼光を浴びせられ、話しかければあからさまにヒソヒソ文句を言われる状況が悪いのだ。
抜け駆け禁止の決まりがあるとかないとか、そんなこと知ったことではない。
――そう思っているくせに、そんな状況に流されてしまった自分が一番情けない。


「先輩、待っててくださいね」
「…よくわからんが、わかった」


一人情熱を燃やす名前に触れたら危険だと察知したのか、真田は曖昧に頷いた。



(打倒、真田明彦親衛隊!)



いまや、目的は“真田を誘うこと”から“親衛隊に負けないこと”にすりかわっていた。





目的のためには手段を選ばず。
とりあえず情報を集めなければと判断した名前は、唯一認められているらしい桐条美鶴の調査から始めた。
世界有数の企業、桐条グループの一人娘。この肩書きは一目置かれるのに一役買っているかもしれないが、美鶴自身とは違う気がするので除外する。
――そんなものがなくても、美鶴はすごい女性だった。
学園の生徒会長で当然のごとくカリスマがあり、頭も良く、運動神経も良い、おまけにとても綺麗だ。加えて真田の幼馴染という親衛隊の彼女らが羨む不動の位置に居る。
漫画から抜け出てきたんじゃないかと思うくらいの完璧さ。これでは彼女らは手も足もでないだろう。


(…私自身にも同じこと言えるけど)


だがこうして弱気になったところで何も変わらない。美鶴に並べずとも限りなく近づくことはできるかもしれない。
メモ帳を片手に気合を入れなおした名前は、自分を奮い立たせるべくあえて真田に話しかけてみることにした。
名前の考えはこうだ。
わざと真田に話しかけることで彼女らを煽り、些細なことでもいいから突破口を見つけ出す。文句がでるならそれらを克服すれば万事解決!

――しかし、そう順調にいかないのが世の常である。

ボクシング部の部室があるプレハブ小屋近辺。
端的に言えば待ち伏せを実行している名前は、騒がしい集団に気づいてそちらに目を向けた。

風に乗って聞こえてくるのは女性の声ばかりで、「お休みの予定は」「今度の練習試合」「この前のテストで」「趣味は」「好きなものは」…等々、内容は実に様々なようだ。
中心にいる真田はといえば口を開くでもなく黙々とこちら――部室へ近づいてくる。
表情は笑顔とは程遠く、その温度差に少し驚いた。


苗字?」
「…こんにちは」


先に声をかける予定が失敗した。
僅かに遅れて挨拶をした名前は、どこかホッとしたような表情で足早に近づいてきた真田に戸惑った。
そんな真田の様子に驚いているらしい親衛隊が一瞬で静かになり、名前の戸惑いに拍車をかける。
ここへ来るまでの意気込みはどこへ行ったのか、既に逃げたい気持ちでいっぱいだ。

逃げる為の言い訳を考える名前のことなど構うことなく、横に並んだ真田が促すように名前の背中を軽く押す。
反射的に見上げると、小さく「いいから付き合え」と言って肩を組まれた。

死んだ。
背後で上がる悲鳴を聞いて、咄嗟にそう思った。絶対に振り向けない。
『射殺すような視線』なんて比喩的表現に過ぎないと思っていたのに、まさか体験することになるとは思わなかった。


――誰あれ。ウザい。チョーシ乗ってんじゃない?何様?あの程度で真田くんの隣に並ぶとか。


聞こえてますよ、お姉さん方。
そう優雅に笑えたらどんなによかったか。なんだか泣きたくなってきた。奮い立つどころか凹まされてどうする。


苗字がこっちに来るのは珍しいな。散歩か?」


放課後の学園内を散歩ってどんな趣味ですか。
心が荒んでいるせいか思い切りツッコミを入れたくなったがそんな元気もなく、「そんなところです」と疲れた笑顔で答えた。


「それより先輩、私ボクシング部じゃないんで一緒に行っても仕方ないんですけど」
「そう言うな。見学でもしていかないか?…………まあ、悪かったよ、あまり睨むな」
「睨みたくもなります。先輩のファン怖いですもん」


謝るということは、名前を利用したのがわかっているということだ。


「あの子達がうるさいのは俺が一人でいるせいかと思ってな。実際静かになって助かった」
(ついてきてますけどね…)


少し離れてはいるが、ばっちり見張られている。
真田は背中にチクチク刺さっている視線が気にならないんだろうか。


(親衛隊の皆さんも好きな人の方を見ているほうがよほど有意義だと……)


と、そこまで考えたところでやけに近い距離に真田がいることに気づいた。
ハッと息を呑んで肩を見る。乗っている。っていうか近すぎ。


「真田先輩、腕…」
「ああ、忘れてた。丁度いい位置にあるから…なんかお前、震えてないか?」
「お、重いからです!ですから早く」


背後からの視線が痛くて怖いからです、と正直に言えるはずがない。
言っても理解してもらえるかは疑問だったし、今は距離をとりたかった。

だが『どかしてください』と名前が続けようと思ったときには、真田が自身の皮手袋を外して彼女の額に手をあてていた。


「な、なななななん、ですか!?」
「何って熱を…よくわからんな」
(わからんなら離してください!!)


顔色は恐怖と羞恥でめまぐるしく変わっているだろうし、それが心配の種になっているかもしれないと予想は立てられる。しかし自分の力で調節できるものでもない。
熱を測るならリンパ腺がどうのといい始めた真田が名前の頬伝いに手を滑らせたところで、彼女は耐え切れずに逃げ出した。

驚いた声で名を呼ぶ真田も、ざわついている親衛隊もどうでもいい。
怖い以上に、恥ずかしい。全力疾走しているのに顔から熱が引いてくれない。


(なにこれ……なにこれ!!っていうか、先輩…変!絶対変!!)

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