カラクリピエロ

Blackish Houseセラ夢 未満


「ただいまー」

アパートの玄関をくぐると無意識に口から出てくる挨拶。
みんなが寝静まっててもおかしくないこの時間は出迎える人が誰もいないのに、こんなクセがついたのは確実にあの子のせいだ。
疲れとともにため息を吐き出せば、意外なことにラウンジからパタパタと足音が聞こえた。

「セラ君!」

オレを確認した途端ぱあっと明るい顔をした彼女の呼びかけと、「は?」と間抜けな声を漏らしたオレの声が重なる。
なんでいるの?
そう疑問を投げる前に、するりと腰に回された細い腕に抱きしめられて思考が飛んだ。

「おかえりなさい」
「た…ただいま」

反射的にそう返すけど、おかしいでしょ色々。
でも疲れてたから。すっごく、疲れてるから。“色々”は横において彼女を抱きしめ返しながら肩口に顔を埋めた。
やわらかくていい匂いにドキドキするのに、疲れが取れていくような不思議な感覚。

「セラ君、セラ君」

くいくい、とシャツが引かれる。
控えめな呼びかけとセットになったそれが無性に可愛くてムカつく。
それ、どこで覚えてきた小技なの?
顔を上げるついでに唇を軽くついばんで、大げさに震えた彼女に笑った。

「……いじわるです」
「えー、でもここでがっつりキスしたら怒るじゃん」
「キ、キスじゃ、なくて!」
「しないの?」
「今はしません!」

真っ赤になってオレをはがしにかかる彼女だけど、後でちゃんとしたいってことだと受け止めて追撃はやめておいた。
自分の部屋へ戻るために、階段へ足を進めながら振り返る。彼女は赤味の残る頬を押さえてからオレの隣に並んだ。

「それで?どうしたの、こんな時間に。キミ、明日も学校でしょ?」
「お仕事が来たんです、セラ君と一緒の!」

待ってましたと言いたげに食い気味に話す彼女の眼はキラキラしていて、芝居ができることとオレが一緒だってことが嬉しいんだとわかりやすく訴えていた。
思わずそっと頭を撫でると、彼女ははにかんで「また一緒に練習できますね」と言いながらオレのシャツを掴んだ。
これってこのまま部屋に連れ帰ってもいいってことかな。
明日のスケジュールを思い浮かべようとして、ついさっき、しげから「明日8時に迎えに行くから準備しておけ」と告げられたことを思い出す。早すぎでしょ、ほんと…
まあ、どうせ彼女も学校だし今夜愛し合うのはお預けだ。
そんなオレの思考なんて知らず、彼女は相変わらず嬉しそうに仕事の話をしている。
オレはオファーの話すら聞いてないから、まだ受けてないようなものだけど…どうやらまた連ドラの撮影があるらしい。
原作は小説で、ご一の情報によると最近文庫本が出た話題作。

「それで、明日は本屋に寄って――」

ガチャリ。ドアが開く音で彼女の声が途切れる。
――さて、どうする?
ドアノブに手をかけた状態で、オレの服を掴んだままの彼女に視線で問う。
彼女がお風呂上りだってことにはとっくに気づいていた。
このまま肩を抱いて部屋へ連れ込んで、今夜はここで寝て、と言えばきっと頷いてくれる。
だけど彼女自身の意思で、オレといることを選んでほしい気分だった。

「セラ君、明日のお仕事は?」
「8時にしげが来るって。だから今日はもうシャワー浴びて寝るだけ」

彼女は迷うように視線をうろつかせると、ことさら強くオレの服を握る。ぎゅうと音がしそうな握り方に笑って手を添えながら顔を寄せれば小さく息を吸う音がした。
オレが触れるよりも先に、彼女が伸びあがって唇に触れてくる。
リップ音すらしない一瞬の触れ合いなのに、頬に熱がのぼる。

「泊めてください」

か細い声に緊張をにじませてオレの肩に額をつける彼女に、ばくん、と大きく心臓が跳ねた。
嬉しさと謎の悔しさがこみ上げてきて、彼女を抱きしめながらドアを閉めた。
ふふ、と腕の中から聞こえる笑い声を封じるように唇をふさぐ。彼女とするキスはやわらかくて気持ちいいから大好きだ。



シャワーから戻ると、彼女はベッドに座って雑誌を読んでいた。

「なに読んでんの」

おざなりに髪を拭きながら隣に座ったら彼女は表紙を確かめてから雑誌名を読み上げる。なじみのない音楽雑誌は、流し読みしてその辺に放置していたものだ。

「セラ君がこういうの読むの珍しいですね」
「オレが買ったんじゃないからね」

疑問符を浮かべながら伸ばされた手が、オレの肩にかかったタオルに伸びる。

「玲音にもらったんだよ」

彼女の疑問に答える間に引き抜かれるタオルが首をかすめてくすぐったい。
髪を拭いてくれるらしい彼女から雑誌を引き取ってパラパラめくっていると、不思議そうに「れおん、さん」と雑誌の送り主の名を反芻された。

「言ったことなかったっけ、レーヴパッフェってバンドのボーカル。ほらこれ」
「…綺麗な目ですね」

初めて大々的に特集されたと得意げに言っていた通り、数ページにわたりバンドの紹介が続いている。
ピンナップ写真を見せると彼女からはそんな感想が返ってきて、反射的に雑誌を閉じた。

「セラ君?」
「キミがオレ以外の男を褒めるのムカつく」

じとりと彼女を睨んだら、彼女は数回瞬いたあと、くすくす笑いながらオレの頭を抱えるようにして抱きついてきた。

「ちょ、ちょっと、いきなりなに!?」
「セラ君かわいいです」
「はぁ!?」
「大好きですよ」
「っ、なに、それ…絶対オレのほうが好きだし」

ムキになって言い返しても彼女は全然気にした様子もなく、嬉しそうに笑う声が返ってくるだけだった。

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