.hack//G.U.夢の没話
一之瀬名前は呼び出し音を鳴らし続けるスマートフォンから耳を離し、画面に映る“呼び出し中”の文字と共に震える電話のイラストを眺めた。
その表情はお世辞にも上機嫌とは言い難く、むっすりとへの字に引き結ばれていた口元が歪む。
「くそっ」
一向に変わらない画面に名前は小さく悪態をつくと、画面をタップして電話アプリを落とし、ベッドへ向かって携帯を放り投げつつ自身もそこへ沈んだ。
呼び出そうとしていた相手は一之瀬薫――名前の従兄にあたる引きこもりの青年だ。元々、薫は電話やメールには滅多に反応しない。
彼との連絡手段はもっぱらネットゲーム『The World』である。
オンライン中のショートメールをはじめ、リアルでもゲームに関するメールならちゃんと返してくるのだ。
選別するくらいなら全部見ろと訴えたこともあるが、当の本人はしれっと「興味ないメール読むの…めんどう」とのたまった。ちなみに電話は嫌いらしい。
それを知っていて、名前があえて電話というツールを選んだのには理由がある。
少し前までは毎日のように『The World』を介して会っていたし、頻繁に連絡も取り合っていたのに、ぷっつりとそれが途絶えたからだ。
ゲーム内のメンバーアドレス表示は“Busy”、中に居るのが確実にも関わらずショートメールを送っても反応がない。前触れもなく音信不通になったとはいえ、ゲームをしているのがわかっていたから数日はそのまま放置していた。
――しかし、それが一週間ともなると、さすがになんの音沙汰もない薫が心配になった。
ゲーム内の薫はいつ見ても“Busy”だ。
今日もそのアイコンが点灯しているのを見つめたまま、所在を尋ねるショートメールを送る。
連絡が途絶える前までは、他の用事をこなしていても軽い謝罪や『あとで折り返すよ』など律儀なまでに返事をくれたのに――いつまで経っても送ったメールへの返答はなかった。
妙に落ちつかず、冒険にもいかないままゲームを終えた名前は電話を取ったものの、冒頭の通り薫へは繋がらない。おそらく彼の携帯の着信履歴には名前の名前がずらりと並んでいることだろう。
『――名前の受験が終わったら、一緒にやろうね』
2015年の冬。The World R:2の発売が目前に迫った日、薫は受験シーズン真っただ中の名前に向かって笑っていた。
気分転換に神奈川まで出向いた名前を奮い立たせるためだったのか、たんに嬉しさが勝って話題にしたかっただけなのかはわからない。けれど、名前は笑う薫を見て“普段あまり表情を変えないイケメンが笑うと威力がすげぇ”と謎の感動を覚えた。
それが印象深かったから――名前は薫に触発されてR:2を始めたと言っていい。
――――2016年、春。
「薫!オレも今から“The World”始めるからな!!」
名前はゲームソフトのパッケージを手にしたまま、前振りも何もなく電話回線の向こうに告げた。
これを言うためだけにしつこく薫の携帯電話を鳴らし続けたのは、一緒に喜んで欲しかったからだ。
ものすごく憂鬱そう且つ面倒くさそうなテンションで「……はい」と応答した相手は、名前の言葉を受けてしばし沈黙し、微かに笑ったようだった。
『そう……それじゃあ、インするときは教えて。カオスゲート前で待ってるよ』
「は…?ちょ、ちょっと待て薫、なにそのカオスゲートって」
『……大丈夫、始めればわかるから』
(あ、こいつ説明すんの面倒になったな)
僅かに空いた間で薫の思考を読んだ名前は一つ溜め息を落とし、初プレイに付き合ってくれる気らしい従兄に向かって「サンキュ」と短く礼を言ってから通話を切った。
ゲームをインストールしている間に届いた薫からのメールには『言い忘れ』という件名がついていて、珍しく長めの文章が添えられていた。
The World内では“エンデュランス”という名でプレイしていること、最初に選んだジョブは変更できないこと、キャラ名がID代わりになっていて同じ名前は使えないから複数候補を考えておくといい…というような内容だ。
(名前…ねぇ……)
名前はそういった物を考えるのが得意ではない。けれどすぐにでもゲームは始めたい。
そわそわしながら辺りを見回して、名前になりそうなものを探してみたけれどしっくりこなかった。
とりあえず、とダメ元で入力した自分の名前が幸運にも通ってくれたので、あっさりそれを自分のPC名として登録した。
長い付き合いになるだろうし、キャラメイクには時間をかける。
獣人族も魅力的で迷ったけれど人族を。身長はやや高めに――ゲームの世界でくらい自分の理想を追ってもいいだろう。
「職業…」
ううん、と唸り声をあげ、ずらりとならんだジョブリストとその詳細を読む。どれも面白そうだ。
剣士、魔法使い、僧侶…RPGでよくある職業を思い浮かべながら比較してみる。
(攻撃しつつ魔法も使えるようなやつがいい……魔法剣士みたいな)
残念ながら名前の希望するジョブは実装されていなかったが、リストの最後に書かれた“錬装士”を選べばそれに近いことができそうだ。
試しに選んでみれば今度は4ポイントに収まるように武器を選べと言われ、名前はまた唸る羽目になった。
「……全部使えるわけじゃないのか」
ちぇー、とわざとらしく音を発して武器一覧を眺める。
魔法剣士を想定してはいたが、拳や双剣を揃えて近接一辺倒というのも楽しいかもしれない――4ポイントという制限は自由が利きそうで僅かに足りない絶妙さだ。
「うーん……」
名前は一旦M2Dを外し、脇に置いておいた携帯でメールを打つ。
――“エンデュランスのジョブは?”
件名で尋ねただけあって返事はすぐに返ってきたが、こちらも件名に『ぶれいど』と平仮名の単語一つのみだった。
変換すら怠ったそれに思わず笑いつつ、ジョブ一覧と見比べて剣士らしいというのを知った。
斬刀士の項目を読み返している途中で今度は薫からのメールを受信する。件名は『ぶれいど』のままで誤送信かと思ったが、今度は本文が入っていた。単にメールを再送信で使い回した結果らしい。
――“よくばりなキミのことだから、錬装士を選びそうだけど…選ぶならよく考えて”
「……?」
メール内に貼ってあったリンクに飛ぶと、The Worldで使えるジョブについて公式ページよりもいくらか詳しくまとめてあるサイトのようだった。
薫に言われたとおり錬装士の欄を探して読むと、まず“器用貧乏と言われがちです”という一文が目に入ってぎょっとした。やはり便利なようでそれなりのデメリットもあるらしい。
武器を複数扱えるようになるまでにはジョブエクステンドというクエストクリアが必須で、極めれば相当強くなるけれど、それにはとてつもない根気が必要であるとも書いてある。
「マジか…」
最初から複数武器を扱えると思っていただけに、これには迷いが生じてしまう。
しばらくは最初に選んだ武器しか使えず、エクステンドクエストは期間限定となると――
「ああああ~~~~迷う!!」
――迷いに迷った末、名前が選んだ職業は妖扇士(ダンスマカブル)だった。
攻撃力は低めだが双剣なみに手数が多く、それなりに魔法も使える職業で支援に特化しているというのも後押しになった。
公式ページにある“戦場の花”という謳い文句には少しひっかかりを覚えたが、参考画像になってる男PCに違和感はなかったので気にしないことにした。
武器になっている扇に合わせ服装をどことなく中華風に寄せ、ようやくキャラメイクは終了だ。
約束通り薫に“キャラできた!”と一言送り、簡単な操作案内とともに放り出された先は石の壁でできた薄暗い建物の中。かすかに聞こえるガヤ音と、視界の端に移る他のPCから出る吹き出しを気にしつつ、中心でゆっくりと回転する青い球体を見上げた。
「――名前」
「うおおぉぉお!!?」
ぬっと突然視界に入ってきた影に驚いて後ずさる。
転送音とともに球体からでてきたと思ったら、自分の名前を呼ぶキャラ。それをNPCかと思った名前は相手の姿をとらえ、反射的に“似合わない”と思った。
その造形がこの薄暗い建物の中で浮いている。ほっそりと縦に長い背丈、長い髪。前髪まで長いせいで表情がわかりにくい。全体的に淡い紫色をしていることや、パッと見スカートのように広がっている服、頭についている赤い薔薇からは咄嗟に男女の判断ができなかった。
「…………えーと?」
「…名前でしょう?」
頷いて、尚も名前の反応を待っている相手PCをじっと見返すと、ようやく名前が表示されていることに気づいた。
エンデュランス。エンデュランスは薫のPC名、『The World』に同じ名前は存在しない。
「あ…!!」
相手を指差し、反射的に薫、と呼びかけそうになって慌てて口を閉じる。
薫――エンデュランスは名前の仕草に気づいて微かに口元を緩めると、名前にメンバーアドレスを渡すよう言ってきた。
「メンバーアドレス?」
「うん……メニュー開いて、パーティの……」
「このメッセージってとこは何書いてもいいのか?」
「……いいんじゃない?」
「お前はなんて書いてるんだよ」
聞けば、エンデュランスは少しの間考えるように停止してからなにやら操作をしている。すぐにアイテム取得音とともにメンバーアドレスが送られてきた。
「おお、これが!…………なんも書いてねぇぞ」
「名前は書いて」
「なんでだよわがままか!!」
ぶちぶち文句を言いながらも名前はメッセージを打ち込み、教わりながら彼にメンバーアドレスを送る。
相手が内容を確認したと思われるタイミングで、書いた内容と同じ言葉をエンデュランスへ向けて口にした。
「こっちでもよろしくな、エンデュランス!」
エンデュランスをリーダーとした形でパーティを組むと、彼はすぐにチャット機能をオープンからプライべートへ切り替えてエリアへ跳んだ。
わけもわからず連行された名前は文句を言おうと思っていたのに、跳んだ先が晴れの草原エリアだったものだから、風景に気を取られぶつけようとしていた言葉を綺麗に忘れてしまった。
エンデュランスを放置して近場を走る。のんびり歩いてついてくる彼から「蹴って壊せる」と教えてもらった樽からは“癒しの水”が出た。説明からすると回復アイテムのようだ。
「名前…」
「ん、なんだ!?」
突然、名前の前に立ったエンデュランスが“癒しの水”を20個ほど送ってくる。
どうやらプレゼントされたらしいと気付いて戸惑いながら礼を言うと、頷きが返ってきた。
「エンデュランスはこういう…フィールドに出るのが好きなのか?」
「…そうだね。適当にエリアを選んで景色を眺めることが多いよ」
「ふーん…あんまり想像できないな、お前が他のやつとパーティ組んで冒険って」
「? パーティは組まないし、冒険もしない」
「いや、今オレと組んでるじゃん」
「うん。初めて使ったかも、パーティ機能」
「…………もしかしてお前、こっちでも引きこもりやってんのか!?」
「冒険はしないけど、外には出てる」
いまいち要領を得ないやりとりに名前の頭上を疑問符が飛び交う。
よくよく見れば、名前よりもプレイ時間が長いはずのエンデュランスのレベルは名前とあまり差がない。
のんびりしている足取りは適当なようでいて、モンスターの視界に入らない距離を見極めていた。
「なあエンデュランス、オレモンスターと戦ってみたい」
名前の要望に渋るかと思いきや、エンデュランスはわかった、と頷きを返し、モンスターの種類や視界について簡単に教えてくれた。
やる気があるとは言えないものの、彼は彼なりに名前をきちんとサポートしている。
エンデュランスが適当に選んだ(と本人が言った)エリアの目的は“証を集めて獣神殿のアイテムを取る”というものだ。
戦いたい、と言った名前のレベル上げも兼ねて二人でモンスターを倒し、最終目的の獣神殿の宝箱を開けた。
あいにく名前もエンデュランスも装備できない重鎧で、エンデュランスは有無を言わさずそれを名前に押し付けてから帰って行った。
とはいってもログアウトしたわけではなく、パーティを解散した後もどこかのエリアを彷徨っているらしい。メンバーアドレスのアイコンはOnlineのままだ。
いつもは一人で気ままに遊んでいるところを、今回は名前という“仲間”と一緒に行動したのだから気疲れでもしたのだろう。
(あいつメンタル弱いもんなぁ……)
リアルの薫が酷く落ち込んだ時期があったのを思い出しながら、ルートタウンへ戻る。
先ほどはカオスゲートの使い方も碌に教わらないままエンデュランスに連れていかれたから、チュートリアル機能をオンにして再度調べてみることにした。
長時間カオスゲートの前で腕を組んだまま動かないPCはさほど珍しくない。
色々なワードを組み合わせ、適正レベルはもちろん目的のフィールドや天気、属性にお宝レベルを探すためだ。とはいえ、初心者である名前の持っているワードは少なくて長考とは無縁だった。
エンデュランスから教えてもらえるかと思いきや、本人の宣言通り彼は冒険には消極的かつ掲示板巡りもしないタイプだったので、名前よりほんの2、3個選択肢を多く持っている程度でやはり長考とは無縁である。
「エンデュランス!エリア行くぞ!!」
一日一度は付き合え、と強引にエンデュランスを呼びだしては持っているワードを使ってエリアへ赴く。
何度見ても爽やかに晴れ渡る青空とエンデュランスの容姿にはほんのり違和感を覚え、名前は笑いながらそれを本人に伝えた。
「お前はきっと夜とか、塔とか、城とか、そういう方が似合う」
「暗い場所…」
「だーって見るからにミステリアスーって雰囲気じゃん。黙って構えてると強そうに見えるっていうか」
「…強そう?」
「うん。実際にはようやくレベル二桁なのにな!」
言いながらチムチムを蹴とばす名前を見返したエンデュランスは、ぼんやりと名前ならどうだろうかと考えてみた。
屋内よりは外がいい。朝でも夜でも似合いそうだけど、天気は晴れが一番似合う。
「あ、そーだ。エンデュランス、剣やる」
「え?」
「この前のお礼だよ。あれ地味に助かったからさ」
にこにこ笑っている名前はエンデュランスの返事を待たずに刀剣をプレゼント機能で送り付け、二度目から面倒になったのかトレードを申し込んできた。
エンデュランスの持つSP回復薬を一つ指定して、ずらりと同じ種類の刀剣が………
「名前…同じやつだよそれ」
「知ってるよ!でもギルド入れば強化できるらしいじゃん。売ってもいいぞ」
「……ギルドは入る気ないから、これ一つでいい。ありがとう」
「使えそうか?」
「うん」
名前はエンデュランスの装備を把握していなかったのだろう。
実際に受け取ったのはエンデュランスが装備しているものと全く同じものだが、気づいた様子はなかった。頷いたエンデュランスに満足そうに笑い、エリアクエストをクリアすべくボスの待つ小島を見て腕を回した。
みかん部屋
6306文字 / 2024.04.08up
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